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ISEKAI(伊勢流陰陽五行学)連載記事

日本のドン

日本のドン

結核性カリエスに見舞われた。背骨のど真ん中を結核菌が溶かしはじめたのだ。会社を辞めざるを得なくなり、一年間の入院生活を余儀なくされた。ちょうど私が、できちゃった婚をして、女の子を授かって三年目だった。一年間は毎週2-3回はストレプトマイシンなどの注射をし、たっぷり栄養をとって、ゆっくり休め、ということだった。毎日のように女房と子供が食べ物をもって、笑顔でベッドまで通っていた。この我慢をこらえた、つくり笑顔を見るのがつらかったあ。


「頭に来た。どうして俺がこんな病気にならなくちゃならないんだ。よりによってどうして俺なんだ。怠け者のあいつでいいではないか。天を呪うぞ。理由を知りたい。なぜ俺なんだ。俺のどこが悪いというのだ」それからいろいろな運命に関する本を読み漁ったっていた。「どの本もバカバカしいなあ」の連続だったが、二人の著書だけは興味をひいた。
一つは阿部泰山著「四柱推命学全集」、もう一つは安岡正篤著「易と人生哲学」だった。 それ以来、ベッドの上で阿部泰山全集を何度も読み返し、安岡正篤の講演録を何冊も読んだ。これは面白い、すごい。退院後も一年はストマイを打ち続けねばならなかった。


3年が経ち、中小の貿易会社に就職したのだが、ある休みの日、久しぶりに育ての親の家にご機嫌伺いに行った。成城という映画俳優の屋敷が多い所だったので、帰りにぶらぶらと周辺を散歩してみたのだ。高いビルはないし、みんな邸宅ばかりだ。人通りも少ない。だから空気がきれいだった。明正小学校から山縣有朋記念館の方へ歩いていた時のことだ。
後ろから「ああ、いい天気だねえ」とつぶやく人がいた。「どっかのじいさんが誰かに話しかけているんだろう」と思いながら、何気なく振り返ると誰もいない。周りを見渡しても、じいさんと私の二人しか道路にいないのだ。仕方なく「ほんとですね」と返事をした。その積りはなかったのだが、二人は他愛のない話をしながら駅の方までつきあってしまったのだ。そうすると「君、私の家に寄っていきなさい。お茶でもごちそうするよ」「はあ」


その邸宅の玄関には「近代四柱推命学会・会長 福田守静」という表札がかかっていた。「あれ!あなたは占い師なんですか?四柱推命をやってるんですか?」「うん、まあね」と言いながら書斎に案内された。背が高く、白髪頭で、メガネをかけ、威厳のある顔のじいさんが、運命や四柱推命の話、安岡正篤の話などをした後「君、わしの元で四柱推命を勉強してみないか」と告げた。なあんだ、生徒に引き込もうとする魂胆だったのか。「あの、私も四柱推命に興味があり、勉強してきたんですよ」「おお、なら余計いいや。月謝8千円でどうだ。」「じゃあ、月2回土曜日の夕方から来ます」部屋には、やたら古いカメラや望遠鏡が多く飾られていた。「先生は何をやられていた方なんですか?」「わしは戦時中に光学機械を作っていたんじゃ。光学兵器をね。だが日本は負けてしまったからな」
翌月土曜日から、二人で陰陽五行とは何か、四柱推命とは何か、運命とは何か、など質疑応答を楽しんだ。そうこうしている内に半年が過ぎた。ある時、先生の屋敷に入ろうとすると、中から恰幅のいい紳士が出てきて、運転手の招きで黒いハイヤーに乗って帰って行ったのを見た。その次の土曜日にも、おそらく偉いであろうと思われる紳士が黒い車に乗って帰っていった。「どうしてあのような人たちが先生の屋敷に出入りしているんだろう」


「先生は一体何者なんですか?なぜ占い師をやってるんですか?こんな立派なお屋敷に住んでるし」「わしは、日本の右翼の祖である頭山 満の流れを組む幹部なのだ。国粋主義だな、安岡正篤もそうだ。戦争中は光学兵器を作って財を作り、日本の誇りを守るため奮闘してきた。だが戦争に負け、アメリカから財閥解体をせまられていた。そんな中でも、わしは青果市場のドンとなり、当時の農林大臣河野一郎や、その子分大野伴睦などと組んで、農協を作ったりしたこともある。彼らは自由党(今の自民党)で党人派と言われた一派で、国士だったのさ」「そうですか」「ある日政治家連中と料亭で飲んで、いい気分で御徒町の交差点を歩いていたら、ふと辻占い師に呼び止められ『あんたはもうすぐ無一文になる』と言われたのだ。あり得ないと思ったら、ほんとうにそうなってしまった。すべての自分名義の財を消し、戸籍も消して隠居生活に入ったのだ。名前も変えている。それ以来、運命というものを知り、四柱推命を勉強するようになったのだ。」


なんとこの成城のご隠居は右翼の大物だったのだ。「児玉誉士男や笹川良一といった連中は右翼を気取っているが、あれはヤクザだ。決して右翼ではない。わしの前には顔を出せまい。」と言っていた。若い時から「若旦那」「若殿さま」と大野伴睦など党人派の政治家や財界人から言われてきた人なのだ。それにこのご隠居は元総理大臣の宮澤喜一の義兄であった。私の心はもう四柱推命の勉強どころではない、政治学、経営学、帝王学、人間学などの話ばかりを教わることになっていたのだ。「先生はそうすると今は宮沢派なのですか?」「馬鹿だなあ、物事は「色」をつけられたら何もできない。無色がいいのさ。もし何々派の人間となったら、行動に限界ができてしまうだろう。だから無色がいいのだ。」

いろいろなことを教わった人だった。つくづく判ったことなのだが、いまだに日本のトップというのは血縁でつながっているのだ。野党であれ、与党であれ、他業種であれ、最高のドン達は血のつながりで出来ているのだ。いろいろな人が相談に来ているこの屋敷、このご隠居は政界財界の裏のドンだったのだ。当時でもう85歳だったな、誰が見ても単なる占い師にしか見せない態度だった。本当の姿を知っているのは今では私だけなのかも。
今でも覚えている「農民は生かさぬように殺さぬように」というご隠居の言葉。「金は小さく広く集めよ」という言葉。「困った時はリヤカーで野菜を売れ」「みなが賛成するような企画は止めろ、反対することをやれ」とか。そよ風に吹かれながら、「ああいい天気だねえ」と気軽いユーモアを吐きながら歩いていたその人が日本のドンだったのだ。まさかこんな人と一緒に過ごしていたとは、運命の出会いとは不思議なものだ。四柱推命が、いや運が二人を出会わせたのだ。

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