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ISEKAI(伊勢流陰陽五行学)連載記事

天然居士・伊勢瑞祥<誕生秘話> 第一回

危ない!この夜中に、真っ暗闇の中で、マンションの5階の一室のベランダに人がぶら下がっている。今にも落ちそうだ。一体誰なんだろう?それが「わたし」だったのだ。

第一回

1・悪魔の声


ふと我に帰るとわたしは、ベランダの手すりに両手でぶら下がり、部屋の中をみつめていた。「ああ、あれがトイレの入り口だな。カレンダーも壁に貼ってある」その上の丸い大時計が午前1時40分を指していた。「あれ!わたしは一体何をしているんだろう。たしかさっきまで寝ていたはずなのに、アッ、やばい、この手を離せば落ちて死んじまうじゃないか。」そのマンションは7階建てで、その5階の502号室のベランダであった。一階は庭になっており、大きな石があり、その周りは花があったり、芝生があった。わたしの部屋だけが明るく、それ以外はみな真っ暗闇だった。


どうしてこんなことになってるのか、と考える暇はない。今の状況にあせったわたしは、「落ちたらヤバイ、すぐに部屋の中に戻らねば。」だがどうしても体がいうことを聞かない。「どうしよう、どうしよう」と思っているうちに、右耳の斜め上の方から「声」が聞こえてきたのだ。「さあ、手を離せ、手を離せ、離しなさい」「だ、だれだあ!何者だ。手を離したら死ぬじゃないか。いい加減にしろ」しかし、その声は何度も同じことを繰り返した。低い声で耳の奥にドーンと響くのだ。だが次第に「もし手を離して落ちたら、どれほどの痛さなんだろう。想定内かな、いややっぱりそれ以上だろうなあ」などと考えるようになっていた。


何度も何度も、いやというほど、同じ声の同じセリフを聞かされて、わたしはついに両手を離してしまった。というよりその声の命令に従わされてしまったのだ。不思議なことに、落ちている時、左半身はというか景色の左半分は一瞬にしてズシーンと地面にたたきつけられたはずなのに、右半身、右で見る景色はスローモーションで、幼い時の楽しい思い出が天然色でゆっくりゆっくり映し出されていたのだ。10人抜き大相撲子供大会で優勝しておじいちゃんに褒められている姿、石狩川ではじめて泳げた時の喜びの姿など、全部で四コマが映されていた。そうして静かにゆるりと地面に寝かされたのだ。


「どれほど痛いのかな、と思ったら、ま、想定内だったな。大したことないかあ」と思い、いざ起き上がろうとすると、まったく体がビクともしない。「まいったなあ、動かねえぞ、 どういうことだ」そのうち、真っ暗闇の中に横たわっているわたしの姿を右斜め上から見ているわたしが居た。「今は真夜中で真っ暗だからいいが、このざまを誰かに見られたらカッコ悪いぞ、早く起き上がれ、早く部屋へ帰ろう」だが体はやはり全く動かない。「困ったなあ」と思っているうち5階に人影が現れた。何か異変を感じたのか「あなた、あなた」「パパ、パパ」という声がしはじめた、ついに「あ、死んでる~」という声も。そうなると隣の部屋も、次々と灯りがつき、周りが明るくなった。そのとたん、わたしの意識が消えて、まったく、時間も空間も意識もない、無の世界に入っていった。


しばらくしてから、急に目の前に薄暗い景色が現れ、黒い山が見え、その前に大きな池が出てきた。かなりの人数が行列となり、順番に二人一組づつ池に停泊している船に乗せられていた。「もうすぐわたしの番が来るんだな」と心構えをしはじめた時、またあの「声」が右耳の斜め上から聞こえてきた。「君は残念ながら、おつれさんが来ないので船には乗せられない、二人一組でないと乗せられない」と言う。「おつれさん?それは誰ですか?」だが、何の返答もない。


どれぐらいの時が経ったのか、気が付くとM病院の集中治療室にいた。「あれ、わたしは一体どうなってるんだ」酸素マスクをかぶせられ、小便用の管につながれ、首から下の全部を硬い石こうで巻かれ、微動だにできない状態で寝かされていたのだ。


M病院の一番奥の個室に移され、3-4日経った頃、女房と担当医がやってきた。「あなたは腰椎粉砕骨折です。つまり背骨の真ん中周辺の骨が粉々になり、背中一面に散らばっているのです。10時間にわたる手術と輸血が成功したのです。ですが、ここはあらゆる神経が密集していますので、必ずどれかの神経が侵されているはずです。だから体のどこか、あるいは頭に異常を来すのは時間の問題です。元のように回復するのは無理、再起は無理です」ということだった。それ以降、医者や看護師が毎日顔を見せにくるのだが、ただ「お変わりございませんね」の一言だけ残して帰るだけであった。


2・検証:

ベッドで横たわりながら「一体わたしに何が起きたのだろう。どうしてこんなことになったんだろう。あの声は一体誰なんだ。」と検証せずには居られなかった。


その頃、わたしはある中小企業K社の企画室長をしていた。初代社長とその息子である二代目の次期社長との間での経営方針、人事、組織編成等の食い違いの調整で疲れ果てていた。毎日朝7時に出社して、夜0時半頃帰宅。それからビールとウイスキーを飲んで、急いで寝るというスタイルだ。酒はあまり強くはないが、明日のために早く寝たいがための酒であった。ベランダから見て、中央にリビングがあり、左側の部屋は夫婦の寝室、右側の二部屋は二人の子供の部屋であった。わたしが帰る頃はみな熟睡していた。いつもは酒を飲んで意識がボヤーっとし始めるとすぐに女房の隣の布団に入って寝ていたのだ。昼間はストレスにまみれ、神経は緊張消耗し、体も疲れ果てていた。そんな生活がはじまって7日ほどが過ぎると、どうも夢遊病になっていたらしい。意識は全くないのに夜中にいったん起きて、部屋を左折してトイレに入って、また寝ていたらしい。


8日目の夜、同じスタイルで「さあ、これで寝れるぞ」と部屋へ行こうとしたら、女房の隣に下の子が寝ているではないか。仕方なく向かいの子供の部屋へ寝にいったらしい。

夜中トイレに行こうとして、いつもの通り部屋を左折して、小便をしたのだ。そこはトイレではなく、ベランダだったのだ。あとで聞くと、ベランダに小便の跡が残っていた。

そうだ。そしてわたしの死体の姿は下半身が裸かだったそうだ。


意識のないまま、夢遊病をして、いつの間にかベランダをまたぎ、ぶら下がっていたのだ。

それまでのことは全く覚えていない。だが、どうしてその時に意識が戻ったのだろう。そしてあの「手を離せ」と命じた魔の声は一体誰なんだろう。それが今でも不思議なのだ。さらに、あの二人一組でのる船というのは何だったのか、そして「おつれさん」とは誰なのか、はわかっていない。あの船はきっと「あの世」行きだったのだ。乗れなかったのは手術が成功した、ということだったのか。


3・明日よ、来るな:

孤独な個室に、同じ姿勢で動くこともできず、天井を眺めていると様々な感情が湧き上がってくる。「苦しい」「つらい」「情けない」。「一体わたしのどこが、何がいけなかったのか?」「どうしてこんな目にあわなきゃならないんだ。そんなに悪いことをしたかあ」「どうしてわたしなんだ」


一日置きに、女房と子供が笑顔でやってくる。その顔を見るのがつらい。「彼らに申し訳ない、なさすぎる」わたしが再起できないことはみなわかっている。かれらも不安とつらさでいっぱいだろう。こんな悶々とした毎日がこれからもずっと続くのだろうか。そうだこのままではそうなってしまう。明日もまた今日と同じくらい、いやそれ以上に苦しさがこみあげてくるんだろうな。


そういえば、10年前の31歳の時は、結核性脊椎カリエスに罹り2年間ストマイとパスで入院と治療をしていたな。よりによって体の重要な部分、しかも同じ個所を二度も壊すなんて、これはなにか因果関係があるのだろうか。その時も女房と子供が笑顔で見舞いにきてくれていたな。家族に迷惑をかけたのは2度目だ。そして今度のは致命傷で、再起不能なのだ。この事故はわたしが起こしたものであり、彼らのせいではない。もし身体不自由で家へ戻り、毎日寝たきりの男が横たわっている。それを毎日家族にみせつけながら暮らす、というのではあまりにも家族に申し訳ない。子供は上の女の子が12歳、下の男の子が6歳だ。未来がたっぷりあるではないか。わたしは考えた「わたしが死んでしまえば、彼らは『もうパパはいないんだ』と心にけじめをつけられ、新たなスタートを切ることできる。そうだ、一旦みんなで一つの人生を終わらせよう。心を中途半端にしていてはみんな生きることができなくなる。別れはつらいが、家族が未来へ進むにはこれしかないな」


女房が来た。「このままの状態がず~っと続くと、みんなを殺すことになる。みんなが生きていけなくなる。またいつ症状が出て、おかしくなるかもしれない。ここは覚悟を決めて今を断ち切るべきだ。しっかりと子供を育ててほしい。わたしの持ち物はすべて使ってください。それしか生きる道はない。子供には『パパはロンドンに行って長期入院することになった。それで治るかどうかはわからないが、少しでもよくなるように頑張ることになった』という話をしてほしい。子供には『もうパパはいないんだ。会えないんだ』と自覚させることが大切だ。」女房は「とてもそんなことできない」と突っ張ってはいたが、結局それしか道がなく、二人で涙、涙の3時間を過ごした。それ以来、下の子が20歳になるまで、会うことはなかった。このことは良かったのか悪かったのか判らないが、わたし自身は今では「あの時、情を断ち切ることができてよかった」と思っている。

4・出家:

これで、ほんとに孤独の中の孤独になってしまった。ほんとに悔しいし、情けないし、悲しい、もうやりきれない。「天よ、どうしていつまでも、わたしをこんな姿にするんですか。もう何もないし、心残りもない、ほんとの無になってしまった。またつらい明日を迎えなければならないのですか。もう結構です、早く死なせてください。あの世に行かせてください。いい加減にしてほしい。」


そんな日が続いて、3か月が過ぎようとしていたある日、突然「実にさわやかな朝」がやってきた。昨日までのつらさが跡形もなく消えている。「どうしたんだろう、こんなに機嫌がよく、さわやかな感じになるなんて」たまたまその日だけか、と思ったら次の日もその次もやたら気分がいい日しかやってこなかった。そして数日が経って、不思議なことが起きた。それまで「背中」という感覚が全くなかったのに、何か背中に電気のようなものが走って、「アッ、背中がある!」と実感できたのだ。そして体の組織が一つ一つ作り変えられていく様子が体感できたのだ。

「ひょっとすると、魂が入れ替わったのかもしれない。それによって、体も新たな形に再生されている、ということなのかもしれない」これまでの古く汚れた暗黒の魂が抜けきり、新たな新鮮な魂が入ってきたに違いない。体全体に活気がみなぎってきている。「よし、今度医者が顔を出したら言おう」そして、翌日医者が来た。「先生、どうしてこのままわたしを放置したままなんですか?」「あなたは10年前に骨結核になっていて、まさにそこのところが粉砕骨折したので、再発もあり得るし手も足も出せないし、どこかの神経が侵されているのは明らかなのです。」「先生、わたしはもう覚悟ができています。どうい結果が出ても構いませんので、どうかもう一度検査をしてもらえないでしょうか」「そこまで言われるのであれば、じゃあ、やってみましょう」


検査の数日後、意外な報告を受けた。「手術をしてみましょう」「エエッ!ほんとですか」

手術をする、ということは治る可能性がある、ということではないか。どういう手術をしたのか、あとで説明を受けた。「背骨の上と下の間の何cmかが、粉になって飛び散っているので骨がない。そこで人体で一番硬い骨盤の骨の一部をとって、それを間につないだのです。長時間かかりましたが、うまくつながりました。しかし破片が神経に傷をつけていることは間違いありません。じっくり静養してください」

しかし、その翌日にはわたしは立っていた。そして歩いていた。医者も看護師もみな驚いていた。「わたしは運がいいんだ。奇跡を体験できてるんだ」その10日後に退院が決まった。退院する当日、医者からレントゲン写真をみせてもらいながら説明を聞いた。「こんなことは普通ありえないのですが、これが骨の破片の一つ一つです。そのどれもが何一つ神経をよけているんです。見てください、このようになってるんです。これは学会で発表しようと思っています。奇跡です」わたしは、医者である実父といっしょに実家に引き取られた。


この現実は一体何を示しているのだろう。おそらくこれが仏教でいう「出家」ということなのではなかろうか。現世でもっていたもの、かかわっていたもの、すべてを断ち切り、離れ、捨て去ったことで、魂が入れ替わり、その魂を受け入れることができたから、違う人間として生きれることになったのだ。つまりわたしは「この世」に生きていた人間が「あの世」に行くのではなく、「その世」で生きよ、と天が導いてくれたのだ。今のわたしは実にすがすがしい。この世にいた頃とは何か「元気」が違う。あの「声」は「悪魔の声」ではなく、「天の声」だったのだ。修行などしたこともなく、したいとも思わなかったが、身動きできず、無抵抗のわたしの場合は、天が勝手に修行させてくれたのだ。


次回に続く

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